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新川木綿(その7

新川木綿という大きな地場産業の衰退は、現在の私たちにも考えさせるものがある。
すそ野の広い例えば車、飛行機といった産業など、同じような状況があったのだろう。

少し、黒部市誌から引用してみよう。

新川木綿の生産に従属していた機具屋、糸挽車屋、わく屋がことごとく失業してしまった。
糸挽車の錘に用いる無患子(ムクロジ)でさえも和歌山県から年間三石あて高岡へ移入していたものを自然廃物になり、風車の上端の止めに使うくらいものものしか使用されぬ有様になった。

一番多く失業者となったものは、直接仕事に従事している綿打職人である。これらの人たちは、きのうするわけにもいかず、東京へ綿打職人として出稼ぎするもの、北海道へ移住する者、三日市の承認でタバコ製造に着眼した人がいたので、タバコ切り職人になるものがいた。生地方面に綿打木綿の取引場を見つけるる舟で売りに出る商人がいたので、しばらく余端を保っていた。それで生地へも少数移住し、急場をしのいでいたのである。

(タバコ切り職人:当時の刻み煙草は、今の紙煙草の葉のように、微塵切りしたものではなく、髪の毛ほどの細さに刻んだもの、といいます。昭和30年ほどまでは、まだ、キセルを用いる人、「キキョウ」などの刻みタバコも見られました。こういうのを作る職業だったのでしょう。)

(黒部まちづくり協議会事務局)タバコ切り職人
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新川木綿(その6)

多分、このことが新川木綿の隆盛と地場産業を支える知恵と力を表わすこととして重要なのだろうと思う。

島清吉という方の活躍をたどれば、相当のことが見えてくるように思える。
島さんという方はこんなところで、新川木綿の発展に力を尽くされたようだ。

・新川木綿の販路の開拓
・原綿の移入
・製造に携わる人への援助
と言ったことが、後日、島さんがなくなってから、明治18年に追賞授与されている。
この功労者を出した三日市は産業の中心であったし、この産業を他地区まで産業を振興させたこと、影響が大きいこと、これらは素晴らしい業績だろう。

・新川木綿の販路の開拓(信州松本への取引を開拓したこと)
・原綿の移入(高岡から原綿を仕入れ、白木綿に加工し販売するようにしたこと。また、高岡に白木綿を移出し高岡ではそれを高岡染めの手ぬぐい地やさらし木綿に加工し、県内、東北に販売したこと)
・製造に携わる人への援助(貧しい人たちに資本を与えたり、機具を貸し与えたりして、製造の職に就かせ、この地域全体を発展させたこと)

新川木綿がこのごろ、急速に衰えていくのも、向上における生産という新しい形の製造が始まったことに対応しきれなかったためだ。
考えさせられる。
(黒部まちづくり協議会事務局)

新川木綿(その4)

明治11年9月29日、明治天皇が北陸ご巡幸の際、入膳において道端の空き地に前口30間、奥行き3間の仮屋を建て、技術の優秀な若い女子20名を選抜して、新川木綿の製造をご覧いただいたという。

若い女子は、銀杏返しの髪に緋鹿の子をかけ、木綿縞の着物に赤いタスキをかけて、かねてから練習していた「布施谷の糸挽き唄」を唄いながら「撚糸(よりこ)」から「織り方」まで10種類の作業をそれぞれ分業のように操業して、ご覧いただいた。
しばらく、天皇はその様子をご覧になったという。

銀杏返しとか髪に緋鹿の子の飾りをつけなど、ちょっと今は見ないから、想像しにくいだろう。
銀杏返し4 緋鹿の子1b

「布施谷の糸挽き唄」は今も歌われているのではないかな。
文化というもの、しっかりと続けること、大切なことだし、そのために大きな力がいるものだ。

新川木綿(その3)

TPPで今、日本が揺れている。
明治初めも、新川木綿にとって同じような状況にあったのだろう。

明治維新後は、開港が全国で行われ、海外との貿易が盛んになった。
各種の製品が輸入され、それまで各地で行われていた産業が、競争にさらされると、弱い産業が当然圧迫された。

綿にしても同じだ。
原綿がインドから、また安い綿糸も輸入されるようになった。

次に、国内でも紡績工場が稼働するようになる。
明治10年に日本最初の紡績工場がつくられると、全国各地でも「白木綿」の製造に着手するようになった。
豊田式機械織機が発明され、木綿が大量にしかも安く生産された。

さらに、養蚕、絹糸製造が長野で盛んになり、一層残された手ぬぐい地などを取り扱う人がいなくなった。

そうなると、新川木綿を製造することができなくなり、急速に地場産業が衰えていった。
明治10年前後の製造高100万反が、
明治13年ごろには、約35万反、
明治17年ごろには、約25万反、
明治20年ごろには需要もなくなり、取引も自然に停止することになった。
下新川郡内の木綿問屋は、信州の商人との売掛金の問題があり、解決できず、倒産するものも多くなった。
道具、物品等を売り払い、借金返済をするなど、記録に残っているものも多い。
取引関係の決済がうまくいかず、紛争の果てに訴訟まで行ったものが多いという。
一方で、訴訟もできず、泣き寝入りになったものも多かったという。
三日市には値下がり損と売掛金の回収不調になって倒産するものが続出した。

これに伴い、機具屋、糸挽き車屋、枠屋など、木綿生産にかかわる業者もことごとく失業することになった。
(初めて聞く言葉が多くあります。なかなか具体的にこれといえる知識がないと想像することもできません。)

一番多く失業することになったのは綿打職人であった。
この人たちは、東京へ綿打職人として出稼ぎをするもの、北海道へ移住する者が多かった。
中には、タバコ製造に踏み出した人がいて、タバコ切り職人になるものや、生地方面に綿打木綿の取引場を密kて売りにできる商人がいたので、何とかしのいでいたという。
(黒部まちづくり協議会)

新川木綿(その2)

杆(カン、てこ)など、いくつか古い言葉が出てきます。
どのような形でどのように用いるのか分からないので、これも次の宿題。

この新川地方(旧下新川地方:魚津から朝日まで)が、かつて大阪に次いで生産量第2位であったことは、なぜなのか。
工場で生産するようになり、すたれていったことは分かりますが、なぜ江戸期から明治期にかけて隆盛したのか。その理由を探りたいと考えています。
盆踊りの唄に、「新川木綿、それまいか、・・・」がありましたね。

3.「綿屋」での作業
 「綿屋」では、綿打職工と徒弟を雇い入れ、多くはその店の二階で簡易な弓形の器械、すなわち一挺の杆(カン)一条の弦よりできた綿弓を左手にし、一個の木槌を右手に持って、里謡をぶんぶんたる弦声に和して手ずから打ち出したのが「打ち綿」です。
 別に「綿替」といって、十数貫(現在のkgではどれくらいでしょう)の打ち綿を背負って、腰には棹秤(さおばかり)をはさみ、毎朝早くから得意先である村々へ出かけて、打ち綿と白木綿と交換(綿替という)したり、銭替えといって現金で買い取ったりすることもしました。

4.木綿を織る
 木綿をおるのは、主に婦女子の副業でした。まず、打ち綿を120匁[450gほど]を掌(手のひら)大の片片(へんぺん)にちぎり、細い竹に巻き付け、右手で紬を執り、小机の上において左手掌をもって、これを前方に転輾し筒状を作ります。これを撚糸(ねんし、よりこ)といいます。その撚糸を糸挽き車にかけて手挽きで紡績します。
 それには、宵の6時から10時まで働くと20匁の紡績糸ができあがります。このようにして、一人が6晩、24時間稼いで、ようやく一反分の材料を紡ぐことになります。
 それからの管巻き、糊付け、枠繰り、経台(へだい)巻き取りなどに、3時間ほどかかります。
 そして、機台(はただい)に取り掛かると、熟練した女でも、朝早くから昼飯ころまでに、二反織り上げます。一反織るのに約三時間かかったわけです。そのころの機具は「座り機(すわりばた)」でしたが、私(野島好二)は、三日市まちでその機具を見たことはありません。
 一反の反物を織りあげるには、撚糸(よりこ)からはじめて、ざっと30時間かかったわけです。そして、それを綿替えに渡すか、綿屋へもっていくと、四反織り上げていったんの利益となり、結局は四反織るのに120時間働いて一反の賃金にとなり、1時間当たりわずか5厘余りであったわけです。

5.新川木綿の取引
 本多重郎さんのところに、木綿の移出先を示す記帳があり、松本方面との取引があったことが分かります。
 松本との取引の始まりについては、寛永年間ん(1789~1800)に松本の麻上人の某が、三日市の円右衛門方に宿泊したときに、新川木綿を求めて持ち帰ったのが始まりだったとのことです。
 ついで、文化年間(1804~1817)は島屋清吉さんが自ら松本に行って同地の商人たちと交わり、薬缶屋某と契約して、新川木綿を移出するようになりました。

6.新川木綿の生産
 新川木綿の生産は、慶応年間(1865)から明治10年(1877)ころまでは全盛期で、この期間中に移出された白木綿の数量は、三日市で27万反(魚津23万反、生地18万反、入膳16万反、泊21万反)でしたが、その後、降り阪となり、明治20年(1887)ことには、ほとんど全滅状態となりました。
(黒部まちづくり協議会)
プロフィール

NPO法人黒部まちづくり協議会

Author:NPO法人黒部まちづくり協議会
【黒部まちづくり協議会とは・・・】
黒部市に住んでいる人も黒部市で働いている人も各種団体も集まって、黒部について考え話し合い汗を出して、住んでよかったと思えるまちに、行ってみたい住んでみたいと思えるまちに、みんなで黒部を手創りしようとする集まりです。

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